昨日に引き続き、富岡製糸場を見学したときの話です。

富岡製糸場、建物の内部へ入れるのは、昨日ご紹介しました

『東繭倉庫』と今日ご紹介いたします『繰糸場』の2箇所です。

写真が繰糸場の外観です。

031

繰糸場とは、繭から生糸を取る作業を行っていた場所で、

当時、300の釜が設置され、世界最大規模の製糸工場でした。

生糸を取る作業とは、釜で繭を煮て柔らかくし、

生糸の先端を探し出し巻き取っていくという、

現代では気の遠くなりそうな作業のことです。

035

屋根は従来の日本の屋根の組み方の和小屋ではなく、

日本で最初期の斜材が入ったトラス小屋組です。

これによって、内部に柱がない広い空間が実現しています。

032

また、釜から立ち上る蒸気は腰屋根から排出しつつ

(腰屋根とは、屋根の一部が一段高くなった造り)

光も差し込む造りになっています。

050

当時の日本にはまだ無かったガラスをフランスから輸入し、

東西に高窓を配置した空間には、いっぱいの光が差し込み

作業をしていた工女たちの気持ちも

明るくしてくれていたのではないでしょうか。

*現在保存されているのは、創業時のものではなく、

昭和40年以降に設置された自動繰糸機です。

ツアーの話は、次回に続きます。

昨日は早朝よりどこへ向かったのかと申しますと

世界文化遺産に登録が決定をしました『富岡製糸場』と

愛読誌でもある『JAF Mate』に毎月作品が掲載されている

星野富弘さんの作品を収めた『富弘美術館』です。

これは、神奈川建築士会川崎支部主催の

日帰りバスツアーで、どうしても移動距離が長いため

実際に見学している時間は短くて、

少々心残りな部分はありましたが、

充実した内容のツアーでしたので、何回かに分けて

ツアーの様子をご紹介したいと思います。

004

最初にバスが向かいましたのは、富岡製糸場です。

沢山の人、人、人でした。

一番に見学をしましたのが、写真の東繭倉庫。

1Fは事務所や作業場として使用し、

2Fは繭の貯蔵庫として使用されていた建物です。

016

建物の設計は当時横須賀製鉄の製図職工として来日をしていた

フランス人のオーギュスト・バスティアンによるものです。

構造は、『木骨造』と言うあまり聞きなれない工法で、

骨組みを近隣の山から伐採したスギの木で組み、

壁にはレンガを積むという構造です。

当時は煉瓦がまだあまりなく、日本瓦の窯で焼いた煉瓦が

使用されているそうです。

この東繭倉庫が最初に建てられたらしく、

後に建てられる検査人館などのレンガになりますと

職人さんの腕が上がり精度が高くなるようです。

008

また、この他に使用されている漆喰や基礎の材料も

地元産の原材料によるものです。

それは、1年半という短期間で建物を完成させるために、

材料の入手しやすい立地であると言うことから、

この富岡の地が敷地として選ばれたとことによるそうです。

大空を飛べたら、どんなに気持ちが良いでしょう。

空を見上げ翼を広げ飛んでいるところを想像したりします。

でも、飛行機に乗ることは苦手です。

ただ、必要に迫られ乗ることもあります。

今日は、そんな道中のお話です。

052

最近の飛行機は翼のかたちがこんな感じなんですね。

知りませんでした。

飛んでいる最中にこの翼を視ていますと、

かなりの負荷がかかっていることが見てとれますので、

何だか、ゆったりと寛ぐことができません。

054

そんな気持ちでしばらくして下を見ますと

雲のじゅうたんが敷き詰められました。

056

更に、上空にも雲が出てきまして、

そうこうしていますと雲の中へ突入しました。

057

機体が揺れます。

064

東京スカイツリーが見えてきた頃、

雲の合間に少しずつ青い空が見えてきました。

068

羽田の直前には、富士山も見えてきて、

途中揺れましたが、無事帰ってくることができ、ホッとしました。

大空を飛びたいと夢見てはいるのですが、

やはり地上の居心地が一番です。