今日はまた、富岡製糸場ツアーのお話に戻ります。

富岡製糸場【東繭倉庫】編はこちらです。

富岡製糸場【繰糸場】編はこちらです。

富岡製糸場は、明治維新を迎えたばかりの日本政府が

国を挙げて取り組んだ事業で、当初は10名ほどの

フランス人を雇い入れその指導によって営まれました。

015

正面入り口を入ってすぐ左脇に建っているのが『検査人館』

生糸の検査を担当したフランス人男性技術者の住居として

建設されたものです。

11

こちらの写真は、富岡製糸場の公式サイトのフリー画像になります。

この建物は、建設の指導者として雇われたフランス人

ポール・ブリュナが家族と暮らしていた『ブリュナ館』。

とても立派なこの建物、後に学校としても利用されたことから、

内部は当時とすっかり変わってしまっているそうです。

15

こちらもお借りした画像ですが、『女工館』

日本人工女に技術を教えるために雇われたフランス人の

女性教師の住居として建設されたものです。

038

こちらは診療所の建物です。

入口には『片倉診療所』と看板が掲げられています。

037

今日ご紹介をしました建物は、外観のみ見学が可能です。

明治初期から残っている建物のディテールを

間近で見ることができる機会はそうありませんので、

駆け足での見学でじっくり見ることは叶いませんでいたが、

色々と勉強になる貴重な体験になりました。