今日はまた、富岡製糸場ツアーのお話に戻ります。
*富岡製糸場【東繭倉庫】編はこちらです。
*富岡製糸場【繰糸場】編はこちらです。
富岡製糸場は、明治維新を迎えたばかりの日本政府が
国を挙げて取り組んだ事業で、当初は10名ほどの
フランス人を雇い入れその指導によって営まれました。
正面入り口を入ってすぐ左脇に建っているのが『検査人館』
生糸の検査を担当したフランス人男性技術者の住居として
建設されたものです。
こちらの写真は、富岡製糸場の公式サイトのフリー画像になります。
この建物は、建設の指導者として雇われたフランス人
ポール・ブリュナが家族と暮らしていた『ブリュナ館』。
とても立派なこの建物、後に学校としても利用されたことから、
内部は当時とすっかり変わってしまっているそうです。
こちらもお借りした画像ですが、『女工館』
日本人工女に技術を教えるために雇われたフランス人の
女性教師の住居として建設されたものです。
こちらは診療所の建物です。
入口には『片倉診療所』と看板が掲げられています。
今日ご紹介をしました建物は、外観のみ見学が可能です。
明治初期から残っている建物のディテールを
間近で見ることができる機会はそうありませんので、
駆け足での見学でじっくり見ることは叶いませんでいたが、
色々と勉強になる貴重な体験になりました。