松匠創美のメールマガジン「木の家を知る・建てる・暮らす」
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■ 第128号 ■ 家づくり雑記帖 「戦後日本住宅伝説-1」2014/9/3
こんにちは。
葉山・逗子・鎌倉・湘南エリアで無垢の木の注文住宅を建ててきた工務店【松匠創美(まつしょうそうみ)】です。
今日の目次は下記です。どうぞ宜しくお願い致します。
【1】 片付け好きの頭の中 「持ち物リスト」
【2】 家づくり雑記帖 「戦後日本住宅伝説-1」
【3】 家づくりのいろは 「窓廻り―横すべり出し窓―」
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【1】 片付け好きの頭の中 「持ち物リスト」
こんにちは、片付け好きの久保です。すっかり空が高くなった9月の始め、とんでもない寒がりの私は、急な寒さについ反応してしまいます。毎年この頃に、暖かい衣類を購入してしまうと言う、悪い癖があります。正に今年も8月末にも拘らず、10月の気候になり、ちょっと街へ出掛けた帰り道、カシミアのセーターを購入してしまいました。
その際、役に立ったものが持ち物リストです。暑い時には片付け好きとは言え、積極的に片付けたくはありません。そこで、そんな時は、持ち物リストの片づけをします。
リストを作成してからもう何年も経ちますので、今では季節ごとにリストを整理するだけで良くなりましたが、はじめは手持ちの衣類すべてを書き出すことから始めました。実際に書き出してみますと、思い出せないモノが多く存在し、尚且つ、自分の中で勝手に例外や特別枠を設けて除外しまっているモノがあることに驚かされます。そこで、すべての垣根を撤去し、リストに載せます。
次は、季節ごとや種類ごと、似たようなもの同士をまとめます。すると自分の持ち物の偏りが目で見て判ったり、多くの発見があります。現在所有している衣類は一人分でインナーも含め180着ほどです。このリストのおかげで、先シーズン何色のセーターがあるといいなぁと考えていたのか、思い出すことができます。
おかげ様で、ここ数年、ずっと欲しいと思っていた色のセーターを手にすることができました。衣替えが来る前に、こんな片づけはいかがでしょうか。
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【2】 家づくり雑記帖 「戦後日本住宅伝説-1 」
こんにちは、設計の田中です。
先日の日曜日、埼玉県立近代美術館で開催されていた「戦後日本住宅伝説-挑発する家・内省する家」展に行ってきました。その作品からは、当時の夢や理想、情熱が感じられました。ということで今日はこの展覧会について書いてみたいと思います。
今回展示があったのは、日本人建築家16名が1953年から1978年に建てた住宅です。図面、模型、写真や映像の構成になっていました。(図録はこちらhttp://bit.ly/1A1dWc9 )
1953年から1978年と言うと、日本は高度経済成長期から安定成長期に突入し第二次オイルショックくらいまでの期間で、急激な経済産業の発展の代償として公害問題が明るみになる頃です。
当時は、住宅を建てるのに建築家に設計を依頼する発想も、コンクリートや鉄で家を建てることも少ない時代です。また、欧米的なダイニングキッチンが公団住宅で取り入れ始め、個室の必要性も徐々に高まり始める頃でもあります。
そんな時代に、センセーショナルに建築されたのが、今回展示された住宅です。その幾つか紹介していきたいと思います。
終戦から8年が経った頃に完成したのが、後に都庁を設計した丹下健三の「住居 House」です。まるで社寺建築のようにも見えますが、近代建築の条件とも言われていた、ピロティ、連続窓、自由な平面といった要素を取り入れた丹下さんの自邸です。室内は柱の無い広々とした解放的な空間になっています。
同年に完成した増沢洵の「コアのあるH氏の住まい」では、ビル建築に用いられていた、設備水廻りを一箇所にまとめるコアと言う手法を取り入れた平屋建ての住宅です。こちらも内部には柱の無い空間構成になっていて、それを可能にした屋根は特殊な構造の木造でした。
翌年の1954年に完成した清家清の「私の家」は、平屋でありながら鉄筋コンクリート造で、玄関のないワンルーム形式の土足で出入りする家です。室内から庭に出るのに段差が抑えられて設計されています。鉄筋コンクリートや、欧米の生活スタイルなどを取り入れた住宅です。
3つとも住宅という小さな建築に、新しい要素を取り入れた挑戦的な部分が有るものの、外観では水平ラインが綺麗に見える日本の建築の美意識がまだまだ多分に感じられる住宅でした。
松匠創美では、進化しながらも街並みに馴染むそんな佇まいに憧れたりもします。
次回は、戦後10年経った頃の住宅を幾つか紹介したいと思います。
設計:久保歩美・田中伸二
松匠創美の「家づくりの考え方」https://hayama-ie.jp/thinking
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【3】 家づくりのいろは 「窓廻り―横すべり出し窓― 」
こんにちは、千葉です。
子どもたちの夏休みもやっと終わり、ホッと一息というところです。これで、少しは家の中が片付くはずなのですが・・・あとは、私の頑張り次第ですね。
今日の「家づくりのいろは」は、横すべり出し窓について勉強したいと思います。以前「家づくりのことば」でもご紹介しているのですが、もう少し詳しく勉強してみたいと思います。
横すべり出し窓と聞くと、どんな窓を想像されるでしょうか?
すべり出し窓には縦すべり出しと、横すべり出しの2つのタイプがあります。初め私は、縦と横が逆に思っていました。
縦と横が何を指しているのかが理解できると区別できると思います。すべり出し窓とはガラス面が引き違い窓のように壁に平行にスライドするのではなく、外に向かって直角に開くものを言います。その軸が窓の上枠と平行にあるものを「横すべり出し窓」と言います。
窓の下側にあるハンドルを押し開けると、庇代わりとなるため、雨が室内に降り込むのを防ぎ、雨が降っていても通風を確保することができます。蒸し暑いときの雨だと大変便利です。
サッシの素材は、アルミやスチール、樹脂、木などがあるそうです。
ハンドルの操作方法としては、縦にすると解錠、横にすると施錠となる形が多いようです。サイズによりついていない場合もあるようなのですが、解錠ツマミというものがついていて、60°または90°の状態にロックされて外側のガラス面を掃除することができます。掃除が簡単にできることは大事な条件ですね。網戸は横引きロール網戸と呼ばれるものを、窓の内側に取り付ける場合が多いようです。
松匠創美では、この横すべり出し窓をお薦めしています。もちろん事務所兼ショールームにもありますので、ご興味のある方は是非見学にいらして下さい。
本日も最後までお読み下さりありがとうございました。
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☆最後までお付き合いいただきまして ありがとうございます☆
出会い・つながる・木の住まい 有限会社 松匠創美
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■ 第127号 ■ 家づくり雑記帖 「 富岡製糸場-3 」2014/8/20
こんにちは。
葉山・逗子・鎌倉・湘南エリアで無垢の木の注文住宅を建ててきた工務店【松匠創美(まつしょうそうみ)】です。
今日の目次は下記です。どうぞ宜しくお願い致します。
【1】 片付け好きの頭の中 「モノに支配されないように」
【2】 家づくり雑記帖 「富岡製糸場-3」
【3】 家づくりのいろは 「窓廻り-オーニング・外付けルーバー」
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【1】 片付け好きの頭の中 「モノに支配されないように」
こんにちは、片付け好きの久保です。最近では、断捨離、捨てオタクなど、持たない暮らしを目指す方が多くいらっしゃる一方で、ごみ屋敷トラブルが社会問題になっています。京都市では市内に100件ほどゴミ屋敷の存在が確認されていて、ゴミ屋敷に対して強権力を行使できるよう条例の制定に動き出しているそうです。
そこで、今回はモノに支配されないようにするために心掛けることについてのお話です。
例えば、体力があって好奇心旺盛な放浪派の方の場合、トランク一つ、いつでも旅立てる身軽な暮らしが理想的かもしれません。一方、自分のように喘息の持病があったり体力に自信がない者は、安心して休める巣が必要ですので定住派だったりします。
放浪派の方は、モノに支配されるコトは少ないと思うのですが、定住派の場合、モノは心地よい空間をつくるためにある程度の必要となりますので、モノに支配される可能性は高くなります。たとえ片付け好きの場合でも、沢山のモノを片付けることが可能な分、問題が表面化しない内に、モノによる支配が進行しかねませんので日頃から十分な注意が必要です。
自分が心掛けていることは、モノが必要となった時に記憶の糸を辿り取り出すことができなかったモノは、持っていないのと同等とみなし、処分の対象にすることです。必要な時に必要なものが取り出せるよう心掛け、モノに支配されるのではなく、モノを使いこなすことが大切な気がします。
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【2】 家づくり雑記帖 「 富岡製糸場-3 」
こんにちは、設計の田中です。
富岡製糸場の話も今回で3回目です。第1回は、富岡製糸工場の果たした大きな社会的役割と開業から操業停止までの流れ。第2回は、富岡製糸場計画の指導者に抜擢されたフランス人ポール・ブリュナと開業当時の工女の話し。最後になります今回は建築としての資料的価値について書いてみたいと思います。
明治5年(1872年)、長さ140.4メートル、幅12.3メートル、高さ12.1メートル、300人が一度に作業できる繰糸器が設置された世界最大規模の繰糸場と、その東西に長さ104.4メートル、幅12.3メートル、高さ14.8メートルの繭倉庫が2棟完成し富岡製糸場は開業いたします。この富岡製糸場の構造は、非常に珍しい木骨煉瓦積造という、柱、梁、小屋組みを木造でつくり、その柱と梁等の間に煉瓦を積んでいく工法で造られています。また、屋根の構造は日本の伝統的な工法では無く、ヨーロッパ式の木造のトラス工法で造られている為、繰糸場の内部は柱の無い大空間になっています。この建物の設計をポール・ブリュナから任せられたのが、横須賀製鉄所で大規模な木骨煉瓦造の建築の設計経験のあったフランス人のオーギュスト・バスティアンでした。
元々ヨーロッパの煉瓦建築は、積み上げられた煉瓦の壁そのものが構造体になっていますが、富岡製糸場や現存しない横須賀製鉄所の木骨煉瓦造りの場合は、構造体は木で造り、壁の煉瓦は仕上げ材としての役割が大きくなっています。これは、バスティアンの記録によると、煉瓦を積む技術が無かった事によって生まれた工法だったとの事でした。その煉瓦は、屋根瓦を焼く釜を応用して日本人が群馬県で製造したものでしたが、ガラスや丁番はフランスから輸入してきたものだそうです。
結果的に、工法といい建材といい、文明開化して間もない建築らしく、未熟な煉瓦の製造技術と施工技術、それに大工の技術や瓦屋根の意匠といった和洋のコラボレーションとして富岡製糸場は完成しました。
もう少し煉瓦の話に注目しますと、煉瓦の積み方はフランドル積工法と呼ばれているフランス北東部からベルギー全域で行われていた工法で積まれています。しかし、間もなくするとフランドル積よりイギリス積という工法の方が強固という事がわかりフランドル積は衰退します。また、各地の地震で煉瓦建築は倒壊し、関東の煉瓦建築もやはり関東大震災でほとんど倒壊してしまいました。しかし、群馬県富岡市は震災の被害が少ない立地でしたので、富岡製糸場は崩壊を免れる事ができたようです。更に、戦争での空襲も調べられた範囲では群馬県富岡市にはありませんでした。
文明開化して間もない時に生まれ、直ぐに姿を消した木骨煉瓦造り、フランドル積という工法が、震災や空襲を免れて今も存在している事は貴重なことなのだと思います。
富岡製糸場が完成した明治5年は、廃藩置県の翌年で横浜にガス灯が設置された年です。どんどん新しくなって行く時代にバスティアンが描いた富岡製糸場の図面は、勿論フランスで生まれたメートル法が使われていたそうです。棟梁3名と大工12名が富岡製糸場に関わった大工手間附があるのですが、その内横須賀製鉄所でメートル法の経験がある大工2名参加して完成させたようです。富岡製糸場には沢山の試行錯誤と技術の応用、歴史を知る上での証拠が多くあるのだと思います。
設計:久保歩美・田中伸二
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【3】 家づくりのいろは 「窓廻り-オーニング・外付けルーバー 」
こんにちは、千葉です。
夏休みもいよいよ残り2週間となりました。子どもたちにとっては、宿題の心配をしなくてはならない時期に入ってきたようで、残りの日数を必死に数えている今日この頃です。
今日の「家づくりのいろは」は、この陽射しの強い時期にあったら少しは暑さが軽減されるのではと思い、「オーニング・外付けルーバー」について勉強してみたいと思います。
一般的にオーニングというと、テント生地のものが多く、開口部の上部に日除けするために設置されます。効果はたくさんあるようで、陽射しをさえぎることにより節電でき、紫外線もカットしてくれ、近隣からの視線を遮ることでプライバシーの確保もでき、雨よけにもなり、空間の広がりもできる等々、設置費用はかかりますが、暑い夏を快適に改善できるもののようです。ただ、風に対して弱いそうですので注意が必要だそうです。
手動式、電動式、手動・電動併用式があり、電動式にはスイッチ、リモコンがそれぞれあるようです。色も多彩のようで、建物のアクセントにもなるようです。
一方、外付けルーバーは、面格子が取付られるような場所に視線を遮るものとして取付られる簡易的なものと、掃き出し窓に取り付けてルーバー自体を上げ下げできるものがあるようです。窓の外側に取付られ、室内でブラインドをするよりも陽射しを遮ることができ、防犯にもなるそうです。我が家では上げ下げできない固定のルーバーを浴室に取り付けていますが、全開すれば、風も陽射しも入り、閉じてしまえば、網戸のまま入浴しても外部からは見えず、とても快適です。
あまり見かけないと思いますが、松匠創美でもお薦めしているひとつです。
まだまだ厳しい暑さが続きそうです。少しでも快適に過ごせるよう工夫できるといいですね。
本日も最後までお読み下さりありがとうございました。
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■ 第126号 ■ 家づくり雑記帖 「 富岡製糸場-2 」2014/7/30
こんにちは。
葉山・逗子・鎌倉・湘南エリアで無垢の木の注文住宅を建ててきた工務店【松匠創美(まつしょうそうみ)】です。
今日の目次は下記です。どうぞ宜しくお願い致します。
【1】 片付け好きの頭の中 「何を持って生きていくか」
【2】 家づくり雑記帖 「富岡製糸場-2」
【3】 家づくりのいろは 「窓廻り―ケーシング―」
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【1】 片付け好きの頭の中 「何を持って生きていくか」
こんにちは、片付け好きの久保です。前回は、この夏公開予定の『365日のシンプルライフ』と言う映画に触れましたが、この映画では、自分の持ちモノをリセットすることで、人生で大切なものを見つけ出す物語とのことでしたが、今から22年前の1992年に発売された、『TOKYO STYLE』と言う写真集は、東京で生活する若者の部屋を撮りためたもので、バブル期のリアルな生活風景が写されていました。
それから2年後の1994年に話題になったのは、『地球家族―世界30か国のふつうの暮らし』という写真集です。「申し訳ありませんが、家の中のモノを全部、家の前に出して写真を撮らせて下さい」と言って、世界30か国の「中流」と呼ばれる家族の持ちモノとその暮らしをレポートした写真集で、納められた家族写真からは、その国の経済状況や気候風土、文化など様々な事情を読み取ることができ、各々個性的で興味深く拝見しました。
このように洋の東西を問わず、持ち物には生き方がにじみ出てしまうようです。そこで、これからの人生、何を持って生きていくのか。片づけるにあたり、夏休みを利用して、ご家族で話し合ってみるのはいかがでしょう。
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【2】 家づくり雑記帖 「 富岡製糸場-2 」
こんにちは、設計の田中です。
今回は、世界文化遺産に登録される事が決まった富岡製糸場の2回目です。前回は、日本の貿易において富岡製糸工場の果たした大きな役割が伝わればと思い、開業から操業停止までを書きました。今日は富岡製糸場が建てられた当時の様子について書いて行こうと思います。
明治5年(1872年)富岡製糸場が群馬県に完成しました。
その繰糸場の長さは約140.4メートル、幅12.3メートル、高さ12.1メートル、300人が一度に作業できる繰糸器が設置された世界最大規模を誇るものでした。
富岡製糸場の計画の決定は、工場完成の2年前に遡ります。明治3年(1870年)2月、明治維新後の新政府により、西洋諸国に対抗して産業や資本主義を基盤にした近代国家を目指した殖産興業政策の一つとして富岡製糸場の計画が決まります。それまでの手作業による生糸と違い、ヨーロッパ式の機械を導入し、質の高い輸出品となる生糸の生産を全国に展開するためのモデル工場として計画されたものでした。
政府は計画を進めるに当たり、フランスの生糸商社横浜支店にいたポール・ブリュナ(当時30歳)を指導者として雇うことにしました。
ポール・ブリュナは、養蚕が盛んだった長野、群馬、埼玉、他各地を調査して回り、良質な水、広い土地の確保、蒸気エンジン用の石炭の確保が可能、などの理由により群馬県富岡を建設地に選び、建物の設計に当たっては、横須賀製鉄所の大規模な木骨煉瓦造の建築の設計経験があったオーギュスト・バスティアンに依頼し、建設資材の調達は、日本人側の責任者の尾高惇忠に任せフランスに一時帰国します。フランスでは、調査してあった日本人の体のサイズや日本人の作業特性を考慮して、フランス式の機械より小さい特注サイズの繰糸器の注文にあたりました。
また、彼の人選によって生糸検査人、技術者、医務室の医師らも決められていきました。
こうして準備が整いつつあった富岡製糸場は、いよいよ操業開始を向かえようとしますが、「フランス人が工女の生血を採って飲む」と言う噂が流れてしまい、肝心の工女が集まらないことにより遅れる事になります。ワインを飲むフランス人が誤解されていたようです。後に、初代製糸場長の娘を率先して工女として雇った結果、全国から210名が集まることになり、予定より3か月遅れて操業開始となります。
工女達の当時の労働環境は悪いものでは無かったようです。1日平均7時間45分、日曜日はお休み。食費、寮費、医療費は掛からず、給料は技術等級によりますが、4段階中で一番低い等級でも、当時の教師や警察官の初任給と同じくらい、一番高い等級だと3倍くらいだったようです。工女達は出稼ぎのようなものでは無くて、技術習得後に地元に帰って技術を伝達する人として優遇され、フランス式の御洒落やお化粧もしていたようです。連続テレビ小説「花とアン」に出てきたような過酷な労働条件は生糸の生産が民間に移り輸出量が増えてきた頃のこの様です。
一方、工場敷地内の豪邸に住んでいたポール・ブリュナは更に高給取りで、教師や警察官の初任給の100倍の給料を明治政府から受け取っていましたが、創業開始から3年で解雇となり、その豪邸は、義務教育が始まる前に工女余暇学校として使われたそうです。
富岡製糸場に行くと130年前に起きた、新しい国のかたちに突き進む様子や、文明開化で変わっていく生活の様子。そんなことが感じられると思います。
富岡製糸場については、久保のブログでも紹介しています。
設計:久保歩美・田中伸二
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【3】 家づくりのいろは 「窓廻り―ケーシング― 」
こんにちは、千葉です。
子どもたちにとっては、楽しい夏休みが始まりました。学童、保育園に通っている我が家の子どもたちは、毎日のように海に連れて行ってもらい、もう真っ黒に日焼けしています。さすが、葉山の学童、保育園ですね。ありがたい限りです。
さて、今日の「家づくりのいろは」は、先週の窓廻りの霧よけに続き、「ケーシング」について勉強していきたいと思います。
建築で使われる「ケーシング」は、ドアや窓を取り付ける際、壁厚の部分に
建具を固定するための枠を、平板で上部と左右に回し、更に壁との区切りとなるように取り付ける部材のことを言うそうです。また、ケーシングという言葉の由来は、英語のCase(ケース=包装、被う)から来ていると言われ、ドア枠と壁の境目を被い隠すものという意味になるようです。
ケーシングはケーシング枠とも言うそうですが、正面から見ると額縁が二重に見えるので、重厚な感じになるようです。
この重厚な感じは、最近のシンプルなスタイルの雰囲気の家には、ないもののように思います。先週ご紹介した霧よけや、ケーシングなどがされている家のほうが少ないのかもしれません。壁に窓のサッシだけが納まっていて、軒の出もないものが多いようです。もちろんケーシングや霧よけをつけるには、費用がかかりますが、デザインともこれらは直結しているようです。
よく見かけるケーシングで、窓のサッシの廻りに平板を貼ってあるものや、窓の両脇にルーバーのついた木製の扉の形をしたものなどが、アクセントとなるようについているのを、目にされたことはありませんか?
窓廻り以外にも、建物の出隅の部分にケーシングされているものもあります。これは、壁に貼ってある部材のつなぎ目を被い隠すためだそうですが、これも意匠的にアクセントをつけるため、つけられているものもあるようです。
休日の涼しい朝夕にでも、お散歩しながら、いいなと思う家があったら是非、窓廻りをご覧になってみて下さい。どんな雰囲気の家が好みなのか見えてくるかもしれません。
本日も最後までお読み下さり、ありがとうございました。
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