田中伸二インタビュー

設計という仕事

私たちの出会いから大切にしていることなどを、私たちと同じように葉山を愛し、ビジネスの世界にJOYとWOWを広めている阪本啓一氏にインタビューしていただきました。それぞれの思いやお互いのつながりなどご覧ください。
※ 文字色の黒は阪本氏、地の色(茶)は田中の発言です。

田中さんは、業務としては設計をされているんですよね?

はい。設計以外に施工管理もしています。

施工管理というのはどういうお仕事なんですか?

設計図通りに現場が進んでいるかどうかをチェックします。
現場で進めていく中で、この方がいいという部分があれば修正します。図面通りに進むことが必ずしもベストではないですので。

それはどういうことですか?

実際に実物を見てみると、図面で見ているだけでは細部まで見切れていないことがあったりするんです。たとえば、窓の位置だったら、図面より実際はこっちにずれていた方が景色がいいなとか。

田中さんが仕事に対して「これだけは外せない!」というか、こだわっている部分はありますか?

こだわっている部分というのは特に無いのですが、強いて言うならば、かっこいいかどうかや使いやすいかどうかは、現場というリアルな場の方が正しいと思っています。図面上だけを信じているほうが怖いんです。それは体験として、久保の姿を見ていても感じる部分です。

矩計図(かなばかりず:建物の垂直方向の断面を詳細に表した図面)は使いますか?

他社より多く使っていると思います。本当だったら図面が現場監督をしているくらいに詰められて、現場へ行った時になるべく変更が生じないようにすることが理想なんでしょうけどね。でも現実はあくまでも現場重視ですね。

矩計図の役割って何ですかね。断面図とはどう違うんでしょう?

一番重要なのは加工部材の高さ関係の確認ができるかどうかなんですよね。
実際現場で見るのは平面図が多いですね。次が矩計図かな。

この仕事を始めて何年ですか?

15 年です。専門学校を卒業して、20 歳から勤めた会社で建築の設計の部署に入れなくて、人事異動の希望を出したんですが、それが通らなくて……。
その会社は 1 年半で辞めて、半年ぐらい 2 級建築士の勉強をしながら、就職のタイミングを見計らってアルバイトをしていました。

自然との関わり

どこにお住まいなんですか?

高校 2 年生の時から鎌倉に住んでいます。

おじいさんが芸術家さんだったんですよね?そのおじいさんはその頃まだご健在だったんですか?

祖父は朝井閑右衛門(あさい かんえもん)といって洋画家でした。そのころはもう他界していました。

自然というテーマは田中さんにとってどういう関わりをもっているんでしょう?

都会よりも、自然のある場所で生活することが自分にあっているということは、昔から気がついていました。鎌倉へ来る前は仙台で育ったんです。子供のころは、田んぼや里山で遊びまわっていました。
自然のある環境を無意識に求めていたというか。落ち着く場所だということは間違いないですね。

巡りめぐる人の縁

その 15 年の間に松匠さんとはどのようにして出会ったのですか?

1 年半務めた会社を辞めた後、地元鎌倉の設計事務所でアルバイトをしていました。その後、葉山の設計事務所に就職が決まったんです。そこで 3 年目くらいの時に、久保が務めていた会社と僕の務めていたその設計事務所が、仕事で付き合うようになって。それが久保との出会いです。
 
出会って 3、4 ヵ月後ぐらいに、久保が所属していた会社を辞めることになり、ぼくが務めていた設計事務所の社長の希望で、久保を誘って、一緒に仕事をするようになったんです。
手広くやっていた設計事務所だったんですが、住宅部門を久保と二人で担当していました。

葉山にも設計事務所がたくさんあるんですね。イメージになかったです。

看板掲げていないだけで、いっぱいあるんじゃないかな? 実はこの設計事務所はタウンページで見つけたんです。
「あ」から順番に電話して、「せ」でとまりました(笑)。当時僕は 22 歳でしたが、バブルがはじけて就職難だったんです。

久保さんとは、最初から意気投合したんですか?お二人を見ていると「一体感」のようなものを感じるのですが。

そうですね。喧嘩もしましたけど。というか僕が一方的に叱られていただけなのかもしれませんが(笑)。
人として「気が合った」ということだと思うんですよね。特別他に、何か趣味が合うとかいうわけでもなかったですし。

その葉山の設計事務所にどれくらいいたんですか?

実は長かったようで 3、4 ヵ月くらいしか、一緒にやっていないんですよ。そのあとすぐ 2 人揃ってリストラにあったんです。そこから別々に仕事を始めました。
 
久保は 1 人で「空間工房」という会社を立ち上げ、僕は、「木造建築だけやっているとそれしか設計できなくなっちゃうよ」。
と先輩や友人に助言されたことがきっかけで、ゼネコンの設計部の下請け会社へ就職して、100 戸くらいの、7階から 8 階建てのマンションの設計に関わるようになりました。その会社には 3、4 年いました。
 
とにかく“人が暮らす場所”の設計に携わっていきたかったんです。

3、4 年離れて、久保さんとはどうやって再会したんですか?

別々に仕事をするようになってからも、松田と久保の家へ遊びに行ったりしてコンタクトはとっていたんです。お互い資格試験の時期が重なって、競争しあったりして。
 
そのうちに僕が働いていた会社の経営が厳しくなってきました。その会社の社長が、埼玉の実家に戻って 1 人で細々やるということになったんです。当時いた社員は全員辞めることになりました。
 
ちょうど、就職先を探さなくてはと思っていたそんな時、久保から「仕事手伝ってくれない?」と連絡が入ったんです。仕事を辞めて半月後でした。3 月か 4 月にそのマンションの会社を辞めていたのですが、その電話が来るまでは、7 月には資格の試験もあったので、しばらく働かずに貯金で何とかしようと思っていました。
 
それまでは、久保が電話を僕にくれて、家の人が電話に出ると「そんな人はうちにはいません」。と電話を切られてしまっていたらしいです。

おやっ。感じ悪いですね(笑)。

これには訳があって(笑)。そのころ、友人の名前を名乗って、電話をかけてきて、実はセールスの電話というのがすごく多い時期だったんです。両親はぼくの友達の名前をだいたい知っているので、「聞いたことのない名前だったら切っちゃっていいよ」。と言ってあったんです。
 
・・・そういえば 仕事を誘ってくれたその時はどうして電話がつながったんだろう?
 
せっかく久保が誘ってくれたけど、当時は 2002 年のワールドカップまでという気持ちで働き始めました。

なんでワールドカップまでだったんですか?(笑)

2002 年のワールドカップの 1 ヶ月間は仕事をしないでサッカーを応援すると自分の中で決めていたんです(笑)。1ヶ月休ませて欲しいというのも言いづらかったので、ワールドカップまで手伝おうと。
 
ぼくには、住宅の設計を生涯やっていくとしたら、設計から施工まで、目の行き届いた仕事をしたいという夢がありました。松田と久保の元で働くうちに、2人がやっていることはまさにそれだと知ったんです。「あ、僕の理想がここにあった!」と思って、嬉しかったですね。
 
その後「ワールドカップの間だけは仕事しないでもいい?」とお願いをして、就職することを決意しました。当時久保の会社と松田の会社は別々でした。それによって処理する経理などの業務が多くて、毎年年末になると久保と僕はピリピリしていました。それで「1 つの会社にしよう!」となったわけです。

それが「松匠創美」の誕生ですね?

はい。2002 年の冬です。

それで、ワールドカップの1ヶ月は仕事を休んだんですか?

実際仕事をしていたら当然無理だということが分かって。結局、ヨドバシカメラへ行って会社用のスカパーを購入し、自分のデスクの上に置いて、いつでもサッカーの試合を見られる環境をつくっていました(笑)。
生の試合も 5 回、見に行ったんです。たまたま友人がチケットが手に入ったからと誘ってくれたりしたのが重なって。自分では 1枚もチケットが取れなかったんですけど(笑)。

田中さんと久保さんの再会にしてもシンクロニシティーを感じますよね。

仕事の分担

久保さんも田中さん、お二人とも設計士ですが、仕事の分け方はどうしているのですか?

プランをゼロから練っていくのは久保が担当しています。その後、久保からぼくにプレゼンがあって、僕が意見をフィードバックして、それをまた久保が再考する。
そして、図面は僕がメインで書いて、久保には家具のイメージなどを相談するという流れです。

そういう仕事の仕方をしているとお二人とも案件を完璧に理解できますよね・・・。
どんなところが田中さんの設計の「売り」だと思いますか?

楽しいのが一番だと思っているので、楽しく暮らせそうな家を考えるのが好きなんですよ。そういう提案はすぐできると思います。
僕、人が好きなんですね。楽しいことって人とかかわることとか、人の気配を
感じることで、生まれるんだと思うんです。
この家を作る時に、僕が強く松田と久保に希望したことがあって。例えば、松田が2階で何をやっているのか、下にいる人がわからないというような家は嫌だということ。「あのさ、」という普通の声のトーンが家のどこにいても聞こえるような空間にしたかったんです。以前、「松匠創美」になる前の会社は平屋だったこともあって、2 階建てになって、完全に遮断されてしまうのが嫌だったんです。

大好きな動物

田中さんの好きな物って何ですか?

動物。僕は自分で思っていた以上に動物が好きなのかもしれないということを最近思うようになったんです。

人だけではなく、動物も好きなんですね?

そうみたいなんです。犬と接している僕を見て、3 回くらいしか会っていない獣医さんに「何で設計なんてしているんですか?」と言われたり、犬が好きだから犬の写真を見ていたつもりが、違う動物の写真もどんどん見はじめてキリがなくなってしまったり(笑)。夢中になっちゃうんです。

ペットはハナちゃん以外にも飼っているんですか?

ハナだけです。いつか、多頭飼いもしてみたいと思っています。

じゃあ、毎朝、車にハナちゃんを乗せて出勤しているんですね?

はい。帰りはまた車に乗せて、帰宅してから散歩に行って。

1 日の流れはどんな感じなんですか?

7 時に起床、7 時 40 分に会社に着きます。通勤時間は車で15 分くらい。20 時には仕事を終わらせて会社で遊んでから……。

遊ぶって、何して遊ぶの?

ネット検索や、ブログの下書きとか、松田や久保と話をしたり。21 時半ぐらいには帰宅しています。それからハナの散歩に行って、家族とテレビをみたり、話したりして、寝ます。

別に自分の部屋にこもったりはしないんだ?

これは恥ずかしい話なんですが、自分の部屋には 1 日 5 分もいないと思います。リビングで寝ちゃいますし。

何でリビングで?犬みたいですね(笑)。

前の会社では夜中の 1 時以降に帰ってくるのが当たり前で、疲れてそのままリビングで寝てしまうという生活を何年もやりすぎたんですね。いつの間にか、自分の部屋にいることが落ち着かなくなってしまいました。

きっかけとしてはわかるけど、だからといって、寝続ける必要ないと思うんだけど(笑)。冬はどうするの?

布団持ってきて(笑)。父もリビングが好きなので、僕がいなくなったあと、僕の布団にくるまって寝ていたりします。父はソファー、僕はじゅうたんで、朝まで一緒に寝ていることもありますし。

お母さん、大変だね。動物が好きな田中さん本人が、動物にだんだん近くなってきていると(笑)。1人だと淋しいとか?

それもあるかもしれません。リビングにいれば、誰か必ずくるじゃないですか?

おっと!それはまさにペットの視点ですね(笑)。

あんまり1人になりたいということがないですし。たまに1人になりたい時は部屋ではなく外に行きます。散歩している時に考え事をしたり。

しかし、7時 45 分~9 時過ぎまでいるんでしょ? 会社がお好きなんですね。

そうですね。それでも昔よりは、充分、自分の時間もありますから。
「松匠創美」は僕にとって、居場所の 1 つなんです。

一番やりたいこと

「松匠創美」で一番やりたいことってなんですか?

「建売住宅」をやってみたいです。

それはどうして?

僕らが考える住宅、住まいを選択する人がどれくらいいるのかを知りたい。果ては“行列のできる建売住宅販売所”なんていうことになったら楽しいな。

田中さんにとってこの会社との出会いは「自然」、「必然」どちらだったと思いますか?

必然とは思っていないです。自然な流れだったんだなと思っています。